0.5kg増 〜冬の到来〜

「あ、冬だ。冬がくる。準備をしなきゃ。」


からだがそうつぶやくのがきこえる瞬間というのがあります。ほんとにどこかからだの一部がしゃべるわけではありません。そういっているふうにきこえる、気がするのです。


体重が、夏と冬とで変わります。平均値が0.5キログラムくらい、冬は上乗せされるのです。僕の体重は、夏は平均55.0キログラム程度のところが、冬季は平均55.5キログラム程度になるのです。体重計がゾロ目を表示し、「あ、ゴーゴーゴーだ。」と心のなかでつぶやく機会が増えるのが、僕にとっての冬でもあります。どうです?  どうでもいいでしょう?


寒いなあ、寒くなったなあと思っていたら、急にまた夏みたいに暑い日がやってきたりもするのですが、その頻度もだんだんと下がっていって、平均気温もだんだんと下がっていきます。その失われた熱エネルギーが、僕のからだの0.5キログラムとして転嫁されるのでしょうか。だとしたら、冬なんて案外ちょろいもんだなあと思います。


僕だけならちょろいのですが、僕の住む市内の20万人、都内の2000万人、国内の1億2千万人のからだに、およそ1パーセント程度の体重増となってあらわれているのだとしたら、冬に失われるかのように見せかけて人々のからだに転嫁される熱エネルギーも、なかなかたいしたもんだと思います。1億2千万人が心のなかで「(やべ、太った)」とつぶやいたら、それだけで脳内を走る神経物質の走行距離が、地球を飛び出して探査衛星「はやぶさ2」に「よっ、元気?」と耳元でささやけるくらいの長さになりそうなもんですが、「宇宙は真空なので声に出してささやくことはできませんよ」なんていうツッコミに含まれるあたたかさとつめたさの共生みたいなものこそが、僕らに冬を生きてよかった、生き抜いてよかったと思わせてくれるものの正体なのかもしれません。


そう、同居、混在、共生……そういったものを実感する瞬間って、わるくありません。昼間をやっている半球の裏側に、夜をやっている半球がありますし、死者の埋まった大地のうえに、彼らが漂う大気のもとに、生きている者が立っていますし、明るいものに照らされてできる影が、自分の外郭をおしえてくれます。


体重計に表示された0.5キログラム増えた数字を見つめて、認め知る、冬の到来。