フェイズ 2018.10.2

台風が来て、すごかったようです。ぼくは、ぐーぐー寝ていました。その間に通り過ぎてしまったようです。ぼくの妻、実家の母、職場の同僚なんかは口を揃えたように「寝られなかった」と言っていました。そんなに、すごかったんですね。知りませんでした。


台風が過ぎた翌朝、いつものように職場へと向かう道を夢中で突き進んでいたら、看板がまるまる崩落してしまったクリーニング屋さんがありました。ああ、すごかったんだなぁと思いました。そのあと、じつは自分の家の目の前の、職場へ向かう方向とは反対側の一帯がもっとすごい被害にあっていたことを、家族からの連絡で知りました。電信柱が深々とおじぎをしたように倒れかかり、電線が張り詰めたりたわんだりしていましたし、近くの農家のビニールハウスのビニールがごっそりとはがれて飛ばされて、向かい側の区画におおいかぶさったりしていた模様です。近所一帯は、テレビやインターネットが使えなくなった世帯がたくさんあったみたいでした。ぼくの家から職場に向かう方面の道は、近年開通したばかりの新しい道路なので、さまざまなインフラの地中化がなされていますが、逆の方角のエリアは、電信柱が林立しています。電信柱の有無で、強い風雨に対してどれくらい被害を受ける可能性があるのか、差が出てくるのだということを知りました。


あまり見ない光景というのは、「とくべつ」に感じます。そういうものを知って、見識の幅を広げておくと、危険を予測して事前に対策をおこなっておくとか、自分の安全を保つために有効にはたらく可能性はあるでしょう。知らなくて、危険な目にあって、最悪、取り返しのつかない被害を受けてしまうかもしれません。


おなじものを見ても、おそろしい、とくべつだと思うこともあれば、見慣れてしまうこともあります。「おなじもの」そのものが変化したわけじゃありません。それを見慣れた自分は、「ああ、あるよねそれくらい。」というお洋服を着せて見ているのでしょう。「おなじもの」でも、初めて見るときには、驚き、珍しがり、「これはたいへん、とくべつだ」という服を着せて見ているというだけです。「おなじもの」の本質は変わらないのでしょう。それを見て、どんなふうに見えるか、どんな印象を受けるかという差異に、自分の変遷があらわれるのかもしれません。


秩序を築き上げるフェイズもあれば、築き上げた秩序にはまりきれなくなり、こぼれ、逸れ、崩れていくフェイズもあるでしょう。これらのあいだを、不定に、行ったり来たり……そうした往来を繰り返しながら、おおまかに変化していきます。秋だと思ったら夏みたいな日が顔を出すこともあるけれど、大局的にみたら、だんだんと冬に向かっていくのです。