波、◯(マル)、点々

毎日朝、早めに起きてこれを書いております。日記帳のはじっこに、その日起きたときのお空模様が晴れだったら、小さなマルを描くことにしているのですが、最近はいつマルを描いたっけというくらいに毎日シケシケしていたような気がします。ちなみに曇りや雨だったら、雲を表現した波線や、雨粒を表現した点々を描きます。


気候や天体のご機嫌が、人間の営みにいちじるしく影響するみたいです。先月の末ごろ、関東であった、ものすごい雷雨の日。僕の住む町の近くの、お産をやっているある病院では、いつもとは比べものにならないくらいたくさんの赤ちゃんが産まれたそうです。満月や新月のときにもそういった現象がみられると聞きますし、僕たちはカレンダーにならんだ数字以上のたくさんのものに影響されながら生きているんだなぁとシミジミ思わなくもありません。


生きているからには、腹が減ります。お腹がすくと、なにかゲンナリしてきませんか?  僕はすぐにしてしまいます。ゲンナリしてしまうと、良いパフォーマンスが発揮できません。パフォーマンスってなんだ?  と自分で言っておきながら思いますが、要は「調子」です。お腹がへると、調子が悪くなるのです。実際に歌とか演奏とかをしてみると、ピッチ(調子)が悪くなったり、テンポ(調子)が不安定になったりしますから、ほんとうに馬鹿にできません。調子が良いときを本来の自分とした場合、僕はまるで、「お腹が減って調子が悪くなる自分」を予防するために、前もって食事をしているかのようです。これは食事だけに限らず、生活のあらゆるおこないに関して似たようなことが言えそうで、不潔になって不快なにおいを発したり、社会的な関わり合いに支障を来さないようにしたりするために前もってお風呂に入っているようにも理解できますし、服を着ることだって僕が「自分の本来」だと思っている状態を保つため、損じないために前もって服を着ているようにだって思えるのです。



そんなふうに考えると、僕らの生活はいつもいつも、あの手この手をあらかじめ打っておくということでそのほとんどが構成されているようにも思えます。そうした個々の営みに、天体や気候といった巨大で強大で広範に及ぶ力がかかってきますから、もう生きるのってほんと、一世一代の大仕事だよなぁなんて途方もないことを思うのです。



あぁ、みなさん、昨日もおつかれさまでした。今日も明日もひとつ、どうかよろしくお願いいたしますね。