みまもる、しあわせ。

いい未来を匂わせてそちらへ導こうという仕掛けがあると思います。「提案」といったらよいでしょうか。ここでいうのは、だれかが一人勝ちするようなものでなく、みんなが幸せになれるような種類のもののことです。


その反対といっていいのか、わるい未来をつきつけて人をうごかそうとする仕掛けがあるようです。これが、「脅し」でしょうか。こうしておかないと、こうなりますよという不吉な予言みたいなものでしょう。不条理に損害を被ったり、危険をふっかけたりしつつ、それよりもいくぶん小さな負担を用意してみせてそちらに食いつかせ、そのことによってだれかが一人勝ちするような類のものです。


「脅し」の対義語は何か、と問われると意外と思い浮かびません。あえて検索したり辞書を引いたりせずに暗闇のなかで書き進めています。調べれば一発で出てくるのかもしれませんが、「脅し」とそうでないものの境目を見極めるのは、けっこうな目利きがいるんじゃないかと思えます。「脅し」の定義があいまいというわけではなく、そのくだんのものが「脅し」に当てはまるかどうかの判断が、難しいのでしょう。客観的な分析、自分個人の視野の外側にどのような因果が広がっているのか、一瞬で判断するのは難しいことがほとんであろうのに対して、そう時間をかけずに決めざるを得ないことって、案外多いんじゃないでしょうか。


こわい話みたいにも思えますが、要は「一緒に幸せになれるもの」に目を向けるようにしていれば、「脅し」に乗るようなことは少なくて済むんじゃないかと思うのです。……そうはいってもね、そうノンビリと時間をかけて決められることばかりじゃないよね……とおっしゃる声が聴こえてきそうですが、そもそも「ノンビリと時間をかけて考える猶予が与えられていない」類のものの多くは、「脅し」と思ってよい……というのはいかがでしょうか。そんなこともないでしょうかね?  焦って決めて後悔したことと、落ち着いて考えていて判断しかねるがゆえに機会そのものが消滅したことと、どちらが自分にとっての幸せにつながるのかというのは、なかなか難しい問題でもあります。僕はどちらかと言わずとも明らかに後者寄りなタイプで、なんといいますか、こう、「見守るだけなら、まかせてよ!」と声を大にして言っておきながら恥ずかしくなる始末です。それなりに、幸せですけどね。