贈り物と返礼品

嫌なことばを言われたり、嫌な態度をとられたりして、嫌な気持ちになることがあります。そんなとき、「あなたがそうやって人を不快にさせるような態度をとっていれば、それはそのままあなたに返ってきますよ……」とでも言い返してやりたいのですが、そんなお説教じみたことを思いつくのはいつも、当のことが起こって過ぎ去ってからなので、結局自分のなかで浮かび上がっては、どこにも発散されることなく再び自らのなかに沈んでいくばかりです。



子どもが「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですぅ!」なんて口競り合いをする場面を見たことがあります。自分自身が子どもの頃の実体験だったかもしれません。「馬鹿って言ったほうが馬鹿」の論理は、「あなたのとった態度は、あなたに返ってくる」に通ずるところがあるなぁと思ったのは最近のことで、大人になってからでした。短期的・直接的にはちいさな譲歩や妥協になるようなことでも、大局的にみると理にかなっていて、そうしたおこないを採(と)れることが美しいとさえ思えることがあります。それだけ短絡的で直接的な、「得」なのだと勘違いされている「ほんとうはおろかで醜いおこない」が、この世のなかに満ち満ちているのかもしれません。




時流を読んで機敏に動き、ビジネスを成功させる、「世渡り上手」とでも言いたくなるような人がいます。そのときそのときの、競合相手が少ない「すき間」を狙う臨機応変さみたいなものが僕にはないので、単純に尊敬します。ただ、そういったものに大なり小なり「社会」が傾倒していくさまをみると、それでいいのかなぁと思ってしまいます。短絡的と言い切れはしませんが、もともと自分が持っている「軸」があれば、そんなにぱっとあらわれたものに頼ったり影響されたりすることもないんじゃないかなぁ、と……単に僕自身が自分の「鈍さ」をまわりにふるまった結果、僕自身に「鈍さ」が返ってきているだけなのかもしれません。「鋭さ、機敏さ、器用さ」を持ち、それを行使する者のもとには、やはり相応のものが返ってきている、というだけの話なのでしょう。


「鋭い」も「鈍い」も許容される社会であることにまず感謝すれば、いずれのもとにも感謝が返ってくる……としておきましょうか。




散漫な駄文を、読んでくださりありがとうございます。