無言に込めた言

僕は、「去り方」がへたなのかもしれません。なにも言えなくて、無言を返して、しれっといなくなってしまうことがあるようです。それで、そのことをあとになっても自分で気にしているのです。まるで「別れも言わずに黙っていなくなった奴」という冷たい目線を自分に向ける村を、この世界に増やしていっているみたいです。


そんな原因をつくった自分を、愚かだなぁとも思うのですが、実際、そのときの自分にはそれしかできなかったのも事実なはずです。いえ、厳密には他の可能性がいくらでもあったのでしょうけれど、その中からわざわざ愚かなおこないを選んでしまう判断能力と実行能力しか、持ち合わせていなかったのでしょう。


もちろん、これまでに僕が返した無言の中には、本当にそうせざるを得なくてした、適切だったと思えるものも中にはあると思っています。はたらきかけてきた相手の方から、こちらが言を返すのに充分な程度の積極的な開示がなされない場合は、返事のしようがありません。「情報が足りませんよ」と指摘すればいいのかもしれませんが、そのように自分から「言」を返して積極的に応じることが、自分の思想信条に反する場合があるのです。そういうときに突きつけざるをえなかった「無言」に関しては、僕は後悔していないですし、後ろめたく思うこともありません。


「僕」という村への来訪者に、ただ通り過ぎてもらうべきときも、中にはあるのです。そのときの「僕」という村がどういう状況か、そのときの「来訪者」がどういう「たち(性質)」で、どういう目的で来ているのかによっても変わります。未来永劫、「僕村」とその「来訪者さん」が、縁がないというわけでは決してありません。



「タイミングじゃなかった」「今回に関してはご縁がなかった」なんてオトナ文句を僕が使いこなすようになった姿を想像すると、僕はちょっとおそろしい。



お恥ずかしい話を、聞いてくださりありがとうございます。