アレルギーとエネルギー

風邪をひくと、熱が出ることがあります。発熱することの原因を、「からだがウィルス(あるいは雑菌)とたたかっているんだよ」などと説明されて、なるほどなぁなんて思ったことがあります。薬を飲んで症状をやわらげることは、からだの防御(あるいは攻撃)反応を抑えてしまうことになるので「薬を飲むなら治るのが遅くなる覚悟で」とする説に出会って、納得したこともあります。医学や科学の知識と照らし合わせてもほんとうにそうなのかわかりませんが、今のところ僕がそこそこ信じていることでもあります。


アレルギーというのも、からだの反応のひとつで、そのような症状があらわれることによって、からだがエネルギーのバランスをとっているのだ……というような説明を本で読んだときには、たいへん驚きました。これは、片山洋次郎さんの『整体から見る気と身体』という本です。その本に書かれたこと(著者の意図)を僕が正確に読み取っているかどうかはひとまず棚に上げてお話ししますけれど、その本を読むまで、僕のアレルギーについての認識は「からだが、反応せんでもいいような無害なものにわざわざ反応して攻撃をしかけて、炎症を起こしている」というようなものでした。それが、この本によれば、むしろそうやって反応を起こすことで、エネルギーや気の流れが「うまくいっている」というのです。この本の中では、高齢になって腰が曲がってしまうといった現象についても、そのようになることで「うまくいっている(気が流れるようになっている、バランスをとっている)」というような書かれかたをしている部分があったように憶えています。なんとなく、症状が出ること自体を僕は「悪者」みたいにとらえているところがあったので、この本を読んでその思い込みに気づき、大変驚いたというわけでした。


アレルギーの症状が出ると、しんどかったり、しんどい程度ならまだよくて命に関わるといったことがあったりするので、その原因となる物質がわかっていれば、それを避ける行動をとるのは自然なことでしょう。そうすることで、これも結果として「うまくいっている」「バランスをとっている」「流れている」のかもしれません。ある人にとってはつらい症状の原因となる物質でも、別の人にとっては元気になれる、よろこびのもとになる物質かもしれません。届くところに届けば、全体としてより「うまくいく」でしょう。


ところで、医学などで指し示すところの「アレルギー」とは違ったニュアンスで、単純に嫌いだとか苦手だとかいったものを「●●アレルギー」なんて言い表すこともあるようです。こうした場合の「症状」にあたる反応も、実はあたまごなしに「悪者」にする必要はないのかもしれません。おのおのが「うまくいく」ように反応し、全体としてもバランスが取れているのでしょう。


医療のほうの話ですが、アレルギーのもととなる物質を少量ずつ摂取して、そもそもアレルギー症状が起こらないようにする、といった治療もあるそうです。「比喩的なアレルギー」については、医者の指導は不要でしょうから、個人で試してみても良いかもしれません。