今日のやりかた

空を横切る、鳥を見た


空を横切る、鳥を見ました。たいへん高いところを飛んでいました。僕はそれを、5階から見たのです。そこからの僕の目線よりも、高いところを飛んでいました。高さ何メートルなのかはわからないけれど、小さなからだであの高さまで上がるのは結構大変だったのではないでしょうか。3羽の鳥が、まっすぐに視界を横切っていきました。生身の人間が、障害物の多い地上を走って追いつくのは難しいであろう速さで、飛び去っていきました。


僕がやってしまいがちなこと


僕にはやってしまいがちなことがあります。昨晩、お酒を飲みすぎてしまったようです。なにかとすぐにスマホを繰って、なにかのメディアをひっぱり出しては、見入ってしまいます。翌日仕事がない日だろうと、翌日仕事がある日と同じくらいの時間に寝たほうが翌日の体調が良いとわかっていながら、飲みすぎたり、なにかのメディアに見入ったりして、ついつい夜更かししてしまいます。


鳥にできること、僕にできること


鳥は、空に上がって、地上の障害物に左右されずにまっすぐに飛んでいくことができます。僕は、障害物に左右されながらも、2本の足で、地上を歩いたり走ったりすることができます。(おまけに、お酒を飲みすぎたり、スマホを見て夜更かししたりだって、できます。)鳥にできることをそれと同じように僕はできないし、僕にできることをそれと同じように鳥はできません。まったく異なる姿を持った鳥と僕ですが、それぞれのやりかたで、頻繁に栄養や水分を摂って排泄を繰り返さなければ、生きていくことはできないでしょう。


昨日やってよかったことを、同じように今日もやろうとしたらよくなかった


おととい、「こんなやりかたをしたら、よくなかった」ということがあります。それを受けて、昨日、「おとといまでのやりかたを受けて、やり方を変えてみたら、よかった」ということがあります。そして今日、「昨日よかったやり方をそのままもう一度やろうとしてみたら、よくなかった」ということがあります。僕は、一度やってみてよかったことがあると、そのやり方をついつい繰り返そうとしてしまいます。でも、はじめてそれをしたときによかった背景は、繰り返そうとするときにはすでに変わってしまっているのです。違う背景におなじものをはめ込もうとすると、昨日はよかったのに「アラ、今日はなにか違うな」となってしまいます。昨日とおなじやりかたが通用しないからこそ、今日も生きているのかもしれません。



鳥には鳥の、僕には僕の、昨日は昨日の、今日には今日の、やりかたがあります。



ここまで読んでくださり、ありがとうございます。