Stock & Release

スマートフォンのメモアプリに、気付いたことや考えたことを書き溜めています。以前までだったら、ツイッターなどですぐにつぶやいてしまっていたようなことも、いったんメモに保管するようにしました。この取り組みを始めてみたら、必然的にツイートの頻度は下がりました。


思ったことを思ったときに、思ったままに発信するということは、それだけ思考に編集をほどこさずに外に出す、ということにつながります。もちろんそこに「思考の編集」がまったくないわけではありませんけれど、ストックしておいて時間が経ったときに見返し、その都度編集をほどこせば、それだけ自分を客観視する機会が得られるでしょう。べつに、思ったときに即座に発信しておき、同時にストックしておいて編集・見直し作業を繰り返す、でも良いのでしょうけれど……思ったことをすぐに出さずに溜めるとどうなるか、という実験をしているところです。発信したい、表明したい、という欲望を小出しにしないことで、それまでには越えられなかった壁を越えたり、届かなかった距離に到達したり、瞬間的な高出力ができるのではないか……という仮説を検討しようとしています。


メモを見返すと、どんなことをきっかけにしてそんなことを思ったのか、動機を含めて書かれたメモもありますし、なぜそんなことを思ったのかが思い出せないものもあります。時間が経過してから読むと、「ああ、そうだよね」と納得できるものもあれば、「何言ってんだコイツ」というようなものもあるのです。後者のようなものは、もし思ったとき即座に発信してしまっていたら、あとから恥ずかしい気持ちになっていたかもしれません。発信せずにストックしていると、そうした事態は防げるのかもしれませんが、ひょっとしたら、「あんなこと発信するんじゃなかった」というような反省材料となりうる「後悔の気持ち」が得られたほうが、実はのちの自分にとっての大きな学びになるかもしれない、とも思います。ひとりでメモを見て、「うわぁ、これツイートしなくて良かったわぁ……」なんて安堵するのと、果たしてどちらが自分のためになるのでしょうか。そんなことを考えていると、早くも「小出しにせずに溜める」という手法の弱みが見えてきたようで、不安になります……


自分をあえて不安定にして揺さぶるこころみを、この頃の自分はしているように思います。びくびくしながらやっているので、不安定になれているようで、いないような気もするのですが……


つまらないモノローグを読んでいただき、ありがとうございます。