ありがとう、夏の空。

・空の低さのこと

  夏は雲の季節だと思いました。いろんな形、色をした雲が混沌とひとつの空にひしめいています。秋の空は「高い」と表現したくなりますが、夏の空は「近い」です。いつもは遠いものとも話ができる気がするのは、そのせいかもしれません。



・ツノの曲がったカブトムシ

  子どもの頃、甲虫類が好きでした。主に、カブトムシやクワガタやカナブンです。幼虫から飼育して、成虫になっていったものもありました。カナブンを幼虫から育てて、さなぎを経て成虫になり、実家のベランダから飛び立っていった瞬間のことを今でも覚えています。羽音が頭の中の鼓膜に蘇ります。


  カブトムシを幼虫から育てたこともありました。ある日、幼虫の様子が見たくて土をほっていたら、いつのまにかさなぎになっていたのです。僕はうっかり、さなぎの部屋の上部をわずかに崩してしまいました。「うわぁ、ごめんよ~」と思ったところまでは記憶してるのですが、そのあとどうやって土を戻したのか、覚えていません。


  そのままなんとかさなぎの期間を経過し、成虫は出てきてくれました。小さなからだで、長いほうのツノの先端がわずかに曲がった個体でした。僕がさなぎの部屋を崩してしまったことによる影響でしょう。悪いことをしたなぁと重ねて思いながら、この個体が動かなくなる夏の終わりまで、プラケースの中で飼育を続けました。自然界で生きたら、曲がったツノとちいさなからだで、争いに勝てずに、早い段階で命を落としたかもしれません。あるいは、広い世界を飛び回り、競争しないでも済むところを見繕って、うまいこと生きたかもしれませんが……



・新学期のこと

  小学校で6回、中学校で3回、高校で3回。もうちょっと広げれば、さらに大学で4回。大人になって学校に勤務したことがある僕はさらに5、6回の夏休みと新学期を迎えました。日焼けをして、顔面のパーツの隆起がよりくっきりした学級生を見て「お、変わったな」なんて思うことがありましたが、僕自身はどんな顔をしていたんでしょう。周りの人も、僕を見て同じようなことを思ったのかもしれません。



・溶けるような暑さと、心の混沌

  録音機を回して、楽器や歌を演奏するのが僕の習慣です。冷房機器の作動音がうるさいので、夏でもそれをつけずにやります。真夏の住宅の2階にあるその部屋は、地獄のような暑さです。現世で例えると、サウナのような暑さ、でしょうか。地獄もたいしたことないなと思います。滝のような汗を流して、足元に池をつくっています。地獄の池の水は、人間の体液でできているのかもしれません。



・9月というターム

  それは、いやでもやって来ます。変わっているつもりがなくても、変わっています。8月31日と9月1日のあいだにある時間的隔たりは、事実上ないに等しいのに、まるで遠隔地にあるもの同士かのように感じます。


  僕は、想像もしなかった事態をいつも楽しんでいます。こんな出会いをするなんて思わなかったということが、必ずどの夏にも、あるいは秋にも冬にも、春にだってあるのです。ささいな出会いだったり、さして特別ともいえない出会いだったりもするけれど、そんな思いがけない出会いにときめくようなときは、自分の想像力のなさを祝福してやりたくなります。そして、ありがとうと思えるのです。



  どこのどいつともわからない小男の、とりとめのない日記をお読みいただき、ありがとうございます。