地ビール瓶とコンパスとぬいぐるみ

酒の瓶をあつめたことがありました。酒といっても、ビール瓶のみです。ビール瓶といってもなんでも良いわけではなくて、気に入った地ビールの瓶のみです。棚など家財の上に置いていましたが、だんだん増えて妻が捨てたそうな雰囲気を暗に漂わせはじめたので、一番気に入っているアメリカのアンカー社のものを数本残して、全部捨てました。アンカー社のものは、ずんぐりとした瓶の形と、楕円形のラベルと、ラベルのイラストが可愛いです。


自分をコレクターだとは思いませんが、コレクター性がないとも思いません。小さい頃、ぬいぐるみが好きでたくさん持っていた覚えがあります。けっこう中学生くらいまで好きだったような記憶もあります。そのうちの何体かは実家に残っていて、姪っ子や息子に受け継がれているようです。


小学生のころ、なぜだかコンパスが好きでした。なんの変哲もない、スーパーの文具コーナーで売っているようなものから、アウトドア専門店で売っている、何か物をズボンのベルトを通す輪に引っ掛けておけるフックのような金具(カラビナというんでしたっけ?)と一体になった、液体に浮かんだタイプのコンパスとか、いくつかの種類を持っていました。引っ越したときに捨てたのか、今どこにあるか記憶していません。


高校生くらいの頃からしばらく集めていたのか、ギターの弦のポールエンドという部分です。ギターの弦を楽器に通して引っ掛けることができるように、弦の端っこにまあるいボールベアリングのようなかたちをした小さな金具がついています。なんだかまるっこさと小ささが可愛くて、古い弦を交換して必要なくなったものをニッパーで弦から取り外し、ジャムの空き瓶に溜めていました。小さな瓶が2本ほどいっぱいになるくらい集めましたが、いつの間にか集めなくなりました。


いずれも中途半端に終わってしまっていて、この程度のたち(性質)をコレクター性と呼んでいいのかもわかりません。でもそもそもコレクションとは、なにかの役に立てるものではななさそうに思いますし、いつ終わってもべつにかまわないのではとも思います。途中で飽きて終わってしまうからといって、それが「コレクションだった」とはいわなくなるわけではないと思うのです。


集めることでなにかを学んだかといわれれば、僕の場合まったくなにもないように思えます。酒の瓶にも色んなタイプのものがあるなぁとか、じぶんはなぜこれを気に入ったんだろうかとか、分析してなにかを発見したり、気づいたりしたというようなこともありません。いえ、もっと突き詰めればあるのかもしれませんが、そんなことのために集めたのでもないのです。強いて共通点をいえば、ただなんとなく可愛くて、「近くに置いておきたい」程度に思ったから、ということくらいでしょうか。


ちなみに僕は家にたくさんの種類のスパイスやハーブをストックしていますが、これは僕の自覚としてはコレクションではありません。実際に使うからです。スパイスを特別、可愛いとも思いません。一応、妻に「捨てたいオーラ」を出された記憶もないと思っているのですが、僕がそう思っているだけかもしれません。