裏話のありか

どんなに華々しくみえる世界でも、最初から現在の状態だったわけじゃないですよね。紆余曲折があって、今に至っているんですよね。

その紆余曲折を話して教えてくれる人がいると、「こういうところが行き届いている」「よくできている」「感心する」と思えるような現状に至るまでの経過が知れて、なるほどと納得するかもしれません。

話してもらって、教えてもらえた経過の裏には、話せない、教えられないような事実が隠されているのかもしれません。目も当てらない事実があったけれど、今は良くなった!  という美談、サクセスストーリーを語るための妨げになるようなエピソードは、意図的にか無意識にか、語られずにカットされることもありそうに思うのです。さらにいえば、ストーリーテラー自身さえも知らない事実があるかもしれません。同じ一連の事象でも、違う人に語らせればまるで違う物語になるであろうことは、言うまでもありません。

語られる物語に語られざる裏を感じるとか、そんな懐疑的な姿勢でなくとも単純に関心を持ったとか興味が湧いたとかいう場合、自分自身が当事者になって、語り手になるのが一番なのでしょう。多くの人の視線をあつめて、さまざまに語られる事象は、長い時間、たくさんの人によって支えられ、保たれ、変化し続けてきたものだといえるかもしれません。

「老舗の味」という文句に出会うことがありますが、どんな老舗も、現在の味を支えている、今を生きる語り手(当事者)によって存在しています。過去のものが、過去の姿のままあるわけではないのです。博物館に展示された資料はその限りでないかもしれませんが……(いえ、それもやはり「展示品」という現在の姿を支える人の手があるはずですね)

変わっていないかのように感じさせておきながら、実は時代に合わせて少しずつ変化させている、なんて老舗の「裏話」を耳にすることがあります。誰かの耳にさらされている以上、すでに「裏話」でもなんでもありません。

当事者でない者が話してもらえる、教えてもらえるのは「表話」だけです。ほんとうにその事象の表裏一体を知りたいと思ったとき、わたしたちは自分が当事者になる以外ないのでしょう。