血肉との出合い 〜あの頃きみが、かよったお店〜

「わからなさ」を食べて、血肉とするのですね。だから、「わかる頃」になると、だんだんと「わからなさ」を食べさせてくれていた場所に行かなくなる……ということでしょうか。

昨日、ハンバーガー屋で食事をしました。今の職場の最寄りの駅ビル、その地上階にある店です。職場からも近いので、今の仕事に就いてからよく行くようになりました。

この店はハンバーガー屋だけれど、パンがあるのが良いところです。ハンバーガーは注文を入れたら作ってくれるので出来るまでに待ち時間がありますが、併せてパンをトレイに乗せてレジに持っていけば、それを食べている間にハンバーガーが出来あがるのです。

ハンバーガーは、店員が席まで持ってきてくれます。肉を挟んだメニューだったら、肉汁がしたたり落ちんばかりに潤っています。僕が一番頻繁に頼む「フィッシュバーガー」はフライですので、揚げたての、極熱。すぐには食べられないくらいの出来たてを持ってきてくれます。ころもはサクサクで、常温のタルタルソースとレタスがほどよい対比になり、マヨネーズベースのタルタルソースのマイルドな酸味が、フライの歯ざわりや温度を包み込むように和らげてくれます。

今は職場の近所ですからこの店に頻繁に来ていますが、転職などで自分の生活圏が変わったら、来なくなるのかもしれません。かつて頻繁に通った飲食店を思い出すと、その時代の自分の境遇が思い出されます。

……家を留守にする親から小遣いをもらって、最寄りのファストフード店へ通った頃……中学生でした。

……学校の近所の松屋で牛丼とカレーライスを同時に注文し、完食していた頃……高校生でした。

……世界でいちばんドロッドロな豚骨スープで太麺が食べられるんじゃないかと思われるラーメン屋さん・きら星にペダルを漕いで通った頃……大学生でした。

どの店も、リードで繋がれているんじゃないかというくらい通ったのですが、今ではまったく行かなくなりました。逆に、今の僕がよく行くさきのハンバーガー屋には、「どの頃」の自分も行ったことがありません。「今の自分」になって、初めて行ったのです。

さんざん通って次の場所に向かう頃には、そこで食べたものが血肉になっている……ということでしょうか。もう、ココ(からだ)にあるから、と。そうして、あたらしい場所で、またあたらしい味に出合うのでしょう。