小手先の変化

怪我をしたら、傷口は消毒するということが長いこと言われてきたように思いますが、近年になって、それは間違いであった、と聞きます。消毒しないほうが良い、と。

この例とはまたちょっとズレたことかもしれませんが、「こんなとき、どうする」みたいな知識や方法が、後世になるほどに蓄積されていきますね。でも、時代によって正解とされることが変わることがあります。結局いつも、「あのときは正解だったけど、今はどうかわからない」が常なのかな、と思います。

なにかを調べなくちゃならないというときに、スマートフォンがある時代とない時代においては、最適な方法は違ったものになるでしょう。なにか後世になるほどに「進化していく」かのようなイメージがありますが、ただの「変化」でしかないようにも思うのです。「先進的な姿に、化ける」なんて、少し思い上がりなんじゃないか……なんてつぶやきたくなります。

「退化」ということがあって、かつては空を飛ぶための羽をもっていた動物が、その体型を捨てて泳ぐことに特化した姿になる……なんてことも起きます。そんなとき、「羽が退化した」なんていいますけれど、「退廃した姿に化ける」というよりは、ただ「変化した」だけかのようにも思うのです。進化と退化とは、「変化」をカテゴライズしただけなのかな、なんてことを思います。

時間というものは「進むもの」、というよりも、ただ「移ろうもの」ということなんじゃないかと……そんなことは、ある事象に対してどんな言葉を付すかということに、僕がつまらないケチをつけているだけに過ぎないのですが。

スマホを使って調べものをする時代においても、土器を使って煮炊きした時代においても、信じられるものってなんだろう?  ということを考えることは、方法や知識の蓄積に惑わされずに、ありのままの自分たちをみつめる作業になるのかもしれません。