共同カレー

自分のことをかえりみると、だれかに相談をもちかけることがあまりないなぁと気づきます。もっと他の人にきいてみる、話をする、ということがあっても良さそうです。

これはもう性格なのかもしれませんが、僕はどんなことにおいても、1人で何役もこなしてしまいがちです。自分の相談相手はまずは自分、といったところでしょうか。そうしてぐるぐると考え抜いて、ちょっとした方向性や方針みたいなものが見つかることもあれば、結局もといた場所にもどって来ただけ、ということも多々あります。

ある程度のところまで自分で考えたり調べてみたりしたうえで、その過程を胸に持って誰かと対話をするのが僕なりのやり方といいますか、クセみたいなもののようにも思います。

気軽にだれかと話をしながら流れをつくる、考えをすすめる、というやり方があるかもしれません。複数の思考が刺激しあうので、1人でぐるぐると考えるより、思わぬ方向に行けるかもしれません。そこで関わりを持つことで、話だけでなく実際に動こうというときに、話に参加した多くの人の協力が得られるかもしれません。

自分に足りないものは、共同かなぁ……共だって、時間や場所を同じくすること。べつべつの個体として生きているものどうしがひとところに集まるというのは、それ自体が奇跡めいているし、すでに化学反応が起きているような状態ともいえそうです。

ひとりでいることは、ただの「保管」なのかも?  「熟成」もあるかもしれませんが……。寝かせたカレーも、食べる人がいなくちゃねぇ……一緒に食べれば、みんなでおいしくなれますね。