書く。演じる。ぶち壊す。

人間の一生は、「連続」です。寝ていても起きていても、食べていてもトイレにいても、その「一生」は間断なく続いています。でも、ことばにしたら、不連続で段階的なものになりませんか?  ……「目覚める」「トイレにいく」「食事する」「着替える」「歯を磨く」「出かける」……(中略)……「トイレにいく」「眠る」「目覚める」……といったようにです。


もっとざっくりいってしまえば、「生まれる」「生きる」「死ぬ」といいあらわすことだってできるわけです。もちろん、ここでは3ステップでいいあらわされていますが、その一生は不可分で無段階で連続的なもの、ともいえます。


たとえばお芝居などの創作においても、似たようなことが起きているのかもしれません。現実だったら、1分、1秒と、わたしたちの時計とシンクロしたスピードで進行するであろうことが、時間の経過や展開のスピードが自由に演出されます。紆余曲折のある話だとしても、「この幕では××が〇〇を殺します」と、かいつまんで話されることもありえるわけです。

ところで、少し先の自分の予定をかんがみて、それに対応した行動をチョイスして実行することがあるでしょう。たとえば、仕事の締め切りがあるけれど、その直前には別の用件で動き始めなければならないといったとき、あらかじめ締め切りの直前になる前に余裕をもって終わらせておく、という対応が考えられます。


それはそれとして、実際に行動や思考をリアルタイムに進めていったとき、過去の自分の思考や行動と、現在の自分の思考や行動とのあいだに違いがでてくる場合があるわけです。現実的なスケジュールを考えて終わらせておいた仕事を、締め切り直前になってもっとブラッシュアップできるとなった場合、いつもそれを反映させることが許されるとは限りませんが、現実にそういうことが起こりうるわけです。可能ならば、そのブラッシュアップを実現させても良いですし、無理があるのならば、その進歩をつぎの仕事に活かせば良いでしょう。


過去の自分が考えたことや、おこなったこと……それらを新しい自分のそれでぶち壊し、塗り替える。創造するとは、そういうことなのだと思います。