「すき間」が人生を左右する

なるべくなにかを意識したり考えたりしない、「すき間」のような時間を持つことの重要さについて、思い当たります。


「疲れたなあ」「あそび(余裕)がないなあ」と思ったら、いつでもどこでも、ちょっと目を閉じてしまえばいいのです。服務中ず~っと人目にさらされていて、随時対応を求められるような仕事の場合はなかなか難しいかもしれませんが、ちょっとトイレに行ったときだとか、探そうとすれば見つかるものが「すき間」ではないでしょうか。いえ、さらにいえば、つくるものなのかもしれません。


体調が優れず、昨日はほぼ1日、横になって眠っていました。いつもなら、息子を見守るとか、家族で出かけるとかしている、土曜日の日中。昨日ばかりは、実家の両親、妻の協力などもあって、たっぷり休むことができました。休日といえども、起床、朝食、身じたく、活動、昼食、活動、帰宅、入浴、夕食、就寝準備、就寝……などとやっているだけで、先週も先々週も過ごしたような似かよった1日があっという間に過ぎていきます。休日なのに、「すき間」がないのです。


仕事がある日もない日も、行動がルーティン化して、「こなすもの」というような認知が、無意識下で自分の中に植え付けられているのかもしれません。漕ぎ始めた自転車のように、推力を持って進んでいきます。ハンドルは自由なはずなのに、お決まりの道に沿うようにだけ動くように、ここでも推力がはたらいているかのようです。なんでもないときにブレーキをかけて、ゆっくり進んだり止まったりすることにも、推力に抵抗するのに見合うだけの勇気が必要だったり、革新する明確な意志が必要だったりします。


おおげさかもしれないけれど、そう、「すき間」を持つことは、勇気や革新のあらわれともいえそうです。軽んじることなかれ、「すき間」が人生を左右する……かもしれません。