ナマリノソラ

言葉というのは、生き物だ。日々を過ごして、時を経て、変わっていく。もちろん、変わらずに大事にされ続ける部分もたくさんある。


言葉というのは、一人ひとりの中に入り込む。そこで、息づく。その環境に、適応する。それを進化というのかもしれない。劣化というのかもしれない。


言葉は、「一人ひとり」という単位の中で、いわば「地域性」を帯びる。訛るのである。訛りは、ときに、かわいい。訛りは、ときに、おもしろい。訛りは、ときに、マネしたくなる。訛りを誰かと共有できるのは、嬉しいことだ。


言葉は、訛りすぎると、伝わらないことがある。何回も語調を変えて言い直すけど、わかってもらえない。そういうこともある。そんなときは、言葉が訛る前の姿に立ち返る必要が出てくる。訛ったことによるかわいさ、おもしろさを、ときに、捨てなきゃなんないことがある。伝わらないことには、役割を果たせない。訛っている場合ではない。悲しいけれど。自分の訛りを、知る必要がある。他人の訛りを、理解する必要がある。


言葉は、変化する。言葉は、変化しない。そのありのままのありさまを、言葉のたどった通り道をたどることは、旅することにも似ている。あなたの訛った言葉の通り道に、お邪魔させてください。わたしの訛った言葉の通り道に、おいでください。もてなしてくれて、ありがとう。今度はわたしが、おもてなしいたします。


言葉は、はだかだ。

言葉は、服を着る。

言葉が、たばこ吸う。

言葉が、コーラ飲む。

言葉は、静か。

言葉は、やかましい。

言葉は、クール。

言葉は、アツい。


快適な旅もいい。

困難だらけの旅もいい。


君も、おいでよ。

僕も、いくから。


言葉は、人だ。

認め合わなきゃならない。