わたしが花でないならば

あなたが花でないことを、いくら嘆いても仕方ない。


あなたは、あなたでしかないのだから。


花があなたでないことを、いくら嘆いても仕方ない。


花は、花でしかないのだから。


今日が晴れでないことを、いくら嘆いても仕方ない。


今日が晴れでないことは、今日が今日でしかないことのあかしなのだから。


今日が素晴らしい日かどうか、嘆いても仕方ない。


今日に素晴らしい日という形容を付すのは、あなた自身でしかないのだから。


明日のことを嘆いても、仕方ない。


明日のことは、明日の自分に任せるのみだ。


今日の自分が、明日の自分に手が届くというのなら話は別だ。


手繰り寄せて、猫撫でし、頰にキスして、褒め言葉をいくらかけても仕方がないから、早く寝るとか、いいものを食べるとか、明日の自分のためにするあなたがいる。いや、それは明日の自分のためのようでいて、今日の自分のためなのかもしれない。そんなことの間に境界線を引くことに、どれだけの意味があるかわからない。意味のあることだけをするというほどに、わたしたちは合理的にできているようにも思えない。


わたしたちの非合理性を嘆いても、仕方ない。


わたしたちは、わたしたちでしかないのだから。


あなたは、あなたでしかないのだし、わたしは、わたしでしかない。


その間にはっきりとした境界線を引くことに、どれだけの意味があるのだろう。


今日が雨なら、明日は晴れとも限らない。


そのどちらともいえない日が来たときに、笑って迎える、わたしでいたい。