決め手の分布

見てわかるように、しるしをつけたり、看板を立てたりしますね。なんにもなかったら、そこをそれと認識するのが難しいから、見たり触れたりできる形にしておくということがあります。


ところで、最近アロマテラピーについて書かれた本を読んでいます。アロマテラピーに用いるのは「精油(エッセンシャルオイル)」と呼ばれるもので、植物から蒸留や圧搾によって取り出した有機化合物の集まりなのだそうです。


僕が読んでいる本には、個別の植物から得られる精油に含まれる主な有機化合物がなんなのか、具体的に書かれていました。例えば、Aという植物の精油と、Bという植物の精油には、共通する有機化合物が含まれていることがわかったりします。僕はこれまでに、植物Aも植物Bも実物の匂いを嗅いだことがあって、それらの匂いが似ているなと感じていました。その本を読んで、ABには実際に共通する有機化合物が含まれているということを知り、ははぁなるほどと思ったりしました。


バナナとかぶどうとか、特定の食品を思わせる「香料」というものがどうやって作られるのかを僕は知りませんけれど、案外、実物に含まれる「匂いの元となる成分」と同じものが用いられていたりするのかもしれません。どんな成分がどれくらいずつ含まれているかというバランスが、固有のキャラクターのアイデンティティを形成しているのではないでしょうか。


楽器の音色にも、似たようなことが起こっています。というのは、さまざまな周波数帯の音波の組み合わせ、そのバランスによって、「これはなんの楽器の音」というようなキャラクターを僕らは認識しているように思うからです。例えば、Aという楽器とBという楽器のどちらの音色にも、特定の共通する周波数帯が強く出る特徴がみられて、僕らはABの音色の間に類似性を感じることがある、といった具合にです。


食品の匂いでも楽器の音色でも、ひとつひとつに固有のキャラクターがありますが、それを僕らに感じさせる根拠となるものがなんなのかをつきつめていくと、そう多くもない種類の「より小さいもの」が、どんな分布で含まれているかということが決め手になっているようです。


ただ、似ているけれど違うものは違うんだよなぁ。温州ミカンが食べたいときに、バレンシアオレンジを出されてもちょっと違うんだよなぁとか思うかもしれません。そこのパートはフルートで演奏して欲しいのだけれど、「先生、リコーダーしかありません!」とか言われたら、指揮者は絶句するかもしれませんね。


固有のキャラクターの違いとなる根拠を示せ!と言われたら難しいのだけれど、僕らはそれらを、敏感に感じ取って識別する能力を備えています。人間と猿も、とっても似ているようでいて、まったく別の生き物です。まともな観察が可能な状況で、ふたつを見間違える人はそうそういないでしょう。