「心」の風通し

家の近くに、鉄道の上に架けられた陸橋があります。僕は毎日そこへ、もうすぐ2歳になる息子を連れて行きます。息子はたぶん、大きくて動く物が好きなのです。いつも、その陸橋の上から、行き交う電車を延々と見ています。「どっちから来るかなぁ」「こっちから来るかなぁ」「青い電車、来た!」「電車、来たよ〜!」「次は?今度は?」これをずっと繰り返しています。

陸橋の上は、散歩やジョギングをする人が通ります。電車の往来を見ている僕らに視線をやりながら、微笑んで通り抜けていく人がいます。そんな人を見ると、必ず僕も微笑んでしまいます。向こうはこちらに、心を開いてくれているのでしょう。それはきっと、幼い息子が、心を開けっぴろげにしているからなのだと思います。「こんにちは」とか「かわいいねぇ」なんて、声をかけて来る人もいます。僕は息子ほどは心を開けっぴろげにしていないからか、たいてい、掛けてもらった声に応じる形で、あいさつを返すことになるのです。

投げかけられる微笑みも、声がけも、「息子ありき」のはずです。心を開けっぴろげにしている息子に対して、行き交う人々は心を開いているのです。僕の方がへらへらしていたら、なんだか気持ちが悪いじゃないの…そんな気がして、僕はかえって、ちょっと澄ました態度をとろうとしてしまいます。ところが中には、息子と僕を合わせてひとつの対象とみなし、心を開いた言葉や態度を見せてくれる人がいるのです。そういう人に出会ったとき、僕はあわてて「澄ました自分」をあらためることになります。同時に、自分は何をお高くとまっていたのだろうと、恥ずかしいような気持ちになるのです。そんなとき、相手の方が、一枚上手だなぁと感じます。

心を開いている人は、心を開いてもらえるのです。そんなシンプルな道理を、息子と、道行く人に教えられます。

自分のとる態度は周りに移るし、とった行動は自分に返ってくる。僕がちょっと「つんとしている」くらいのことは、簡単に凌駕してしまうくらいの「陽」のエネルギーを、息子は放っているように思えます。気をつけないとなぁ…。

「陽」の循環を引き寄せたかったら、自分がその循環のきっかけになることを、率先してやる必要があるのです。すぐに忘れてしまいがちであり、すぐに思い出せることでもあります。

「陰」の循環も、ちょっとしたきっかけによって簡単に引き込まれてしまいます。そうしたときに、すぐに抜け出し、「陽」の循環にまた戻れるような「取っかかりづくり」を日頃からしておく必要がありそうです。それが「環境」であり、「習慣」なんかも、自分の外側を固めてくれる、強い味方になりうるものだと思います。