「おはようございます」

特に言うこともないのに、何か言おうとするとどうなるでしょう。「いい天気ですね」とか、「おはようございます」とかでしょうか。「いい天気」であることも、「お早う」であることも、その場で顔を突き合わせているという関係のみで共有できることですから、無難です。ただ、同じ天候を指して、「いい天気」か「ヤな天気」かは、人によって違うかもしれません。同様に「お早う」も、人によっては「全然『早く』なんてない」という場合もあるかもしれません。(…なんていうのは検討の余地もないくらい…)「おはようございます」というのは完全に「挨拶」ですから、そうした「意味」のやりとりというよりは、お互いの「コミュニケーション反応の有無」を確認しているだけなのでしょう。深い意味はなさそうです。挨拶をしたのに返してもらえないときは、「ただ単に気付いていないだけ」というケースは多いように思います。もちろん、意図的に無視しているケースも考えられますけれど。

あれこれと世間話をして、身の周りや社会に対する嘆きだとか文句だとかをひととおり披露して、去っていく…そうしたことも、長く引き延ばされた「挨拶」なのかもしれません。「挨拶」には「議論」も「結論」もありません。ましてや「起承転結」もありません。(まれにあるかもしれませんが)しゃべりたいことをしゃべって去っていく、そのこと自体が、長い長い「おはようございます」なのです。

「おはようございます」や「いい天気ですね」ひとつにしても、相手の反応をみて「ちゃんと眠れているかな」とか、「いい天気だと感じているだろうか」などと察するこころがあれば、「挨拶」は立派なコミュニケーションになります。

「会議」だとか「議論」だとかも、長い長い「挨拶」なのかもしれません。「ただの反応の確認」にも「双方向のコミュニケーション」にもなるでしょう。意見を出し合って共通の結論を導いていく作業も、高等で知的な「おはようございます」に思えてきます。

「おはようございます」で始まって、1日が終わる。なんだ、それだけのことじゃないか。