再現不能のライブ・ウォーキング

一緒に何かについて、考えていく。そこに、人と会って話をする楽しみがある。


これって、自分一人でも同じようなことがいえるのではないでしょうか。というのも、何かについて考えていくうちに、思いもよらない思考の道すじ(矛盾しているようですが)を辿ったり、ばらばらだった知識が結びついて、何か新しいことに気づくというようなことが、あるように思うのです。さながら、自分の中でおこなわれる「対話」といえます。


初めから決まっているフォーマットに、個別の記号を埋めていくだけのような「対話」は、他人とやっても、ひとりでやっても、面白くないでしょう。例えばバースデーケーキを買いに行ったとして、ケーキに乗せるチョコプレートに書き込む名前は何か?とか、その人は何歳になり、ろうそくが何本必要か?といったような店員さんとのやりとりは、「確認」でしかありません。誕生日=ケーキである必要もないし、あらゆるあてはめのない、まっさらな状態で自由に歩き出すのが面白い。


どこかに行きたいのだけれど、どこに行くかが決められなくて、動き出すことができない。たまにそんな日があります。そんなときは本当は、どこに行くかではなく、ただ動き出すことが重要なのかもしれません。もちろん、どこか方向を見据えて、それに向かっていくのが大事なときもあります。


散歩というのは、面白い。通らなきゃならない道すじもないし、たどり着かなきゃならない場所もない。どんなに家の近所でも、まったく同じ散歩は2度とない。だいたい知ったような場所をうろうろしただけかもしれませんが、どこでどれくらいの時間を使ったか、どんな順序で何を感じたか、決して再現できない唯一のものがすべてです。


いつもと違う場所からスタートすると、なおさら面白い。旅行先での散歩は格別です。そこでしか会えない人や、風景との対話の連続です。



穴埋め問題ではなく、自由記述。設問に沿った答えでなくても良いし、そもそも設問すらない。紙に書かなくたっていいし、コンピューターをタップもしない。


自分で動きながら、出合っていくのがおもしろい。



散歩なのである、何ごとも。