「愛 」〜想い、現し、悟すもの〜

かたちのないもの、なんて表現することがあります。「愛」なんかが良い例です。実際にはかたちがないのではなく、いろんなかたちがありすぎるのだと思います。そういったものを全部ひっくるめて、「かたちのないもの」と、ひとまとめに呼ぶことがあるのです。

「愛」の有無を判断するのは、つまるところ、何かを言ったり、やったりといった「おこない」を基準とするしかありません。「想う」とか「考える」とかは、対象となる相手について本当に「想ったり、考えたり」しているかということを客観的に判断するのが難しいのですが、やはり「おこない」のうちに入ります。だから、他人の目からは何もしていないように見えても、そこに「愛がある」という判断がありえるのです。

ありがちな例かもしれませんが、恋愛感情を相手に伝えたら「気付かなかった」とびっくりされるようなことも、相手側に根拠となる「おこない」が観察されなかったことによって起きるものでしょう。伝える方も、そのことをわかっていて「観察されない」ようにしているのかもしれません。まるで、種明かしによって驚かせる効果を狙っているかのようです。そのように考えると、「観察されないように想う人」というのは、かなりの策士なのかもしれません。奥手だなんて、とんでもない。(あなたも、知らないところで策士の手にかかっているかも)

想ったり、考えたりというおこないは、それをしていることを他者に悟られない、高等な機能であり、技術です。「悟られないおこない」は、「悟られるように発現するおこない」の原動力となります。「愛」とは、その両者にまたがるものなのでしょう。