消去法サバイバー

住んでいる町から、北西の方を訪れた。そこに巨大な団地がある。集合住宅がいくつもそびえ、建て売りの個宅が並ぶ。まだ売れていない物件も多い。なんとなく生命感の薄い、新築住宅の袋小路。そんな無機質なコロニーが、ここにはいくつもある。


「用意された生活」「作りつけの生活」そんな言葉が頭をよぎった。このエリアのすぐ近くには、大型のショッピングモールがある。広大な駐車場を備え、広々した通路に貸店舗が軒を連ねる。食品、衣類、雑貨、家電、日用品、なんでも揃う。特別なこだわりを持たなければ、という条件つきで。


そこにはフードコートもあって、小さな子どもを連れた家族、夫婦、カップル、中高生、あらゆる年代の人で溢れんばかりである。他で見たことのあるチェーン店が勢ぞろいしていて、選択肢は豊富だ。と見えて、実は食べたいと思えるようなものなんて、ひとつもない。僕は、「特別なこだわり」を持った人だったっけ。ここに来るとだいたいいつも、消去法で最後に残ったうどん店のうどんを啜ることになる。


先ほど見かけた団地だとか新築の住宅に住み、生活に必要なものはなんでも、こちらのショッピングモールで買ってくるとする。まさしく、用意された箱の中で、用意されたルーティンに従う生活みたいじゃないか。


実際に住めばそうでもなくて、むしろ、そうやって用意された機能にあやかることで浮いた労力・時間を使って、もっと他に創造的なことに打ち込めるのかもしれない。住んでみなければ、わからない。


ここに住む、たくさんの人たち。みんながみんなそうではないだろうけど、平日は毎日、都心に出て行ってはたらき、休日や夜のわずかな時間だけをここで過ごす、という人も多いだろう。疲れた体を休めるのには、用意された箱やルーティンは、ありがたいものかもしれない。


ここらの土地には、まだまだ開発中のエリアがあって、聞くところによると、中学校を建てているらしい。そんなようなことを話していると、妻が「新しい家に住んで、新しい学校に通って」みたいなことを言う。「ボロい校舎で学んだノスタルジーとか、なんもないよね」とか、僕はこたえる。


家族でゆっくりと自転車を走らせていると、スーツ姿でショートカットの男が話しかけてきた。「ご覧になっていきませんか」みたいなことを言う。のぼりの立った、新築住宅の前だった。僕たちは先の巨大なショッピングモールに向かっている途中だったので、気のない返事をしたかしないかして、そのまま通り過ぎた。


なるほど、疲れた体に、用意されたルーティンはありがたい。消去法で選んだうどんを啜りながら、そうしたものにあやかっている自分に気付く。