「生」と「動 」〜Live&Motion〜

写真は、もともとあるものをたったひとコマに切り取るものです。時間的に長く、空間的に広く、フレームの外側に延々と続いている実物を抽出するものです。それでいて、「瞬間」以上のものを感じさせるのに十分な表現手段でもあります。たったひとコマなのに、写真を見た僕たちは、長い時間や広い空間を含んだ被写体の「生」を感じたりするでしょう。


言葉も、言葉にした時点で、実際に存在する「時間的に長く、空間的に広いもの」を、たったひとコマに切り取ってしまいます。しかしそれでいて、そのものの「生」を感じさせうる表現手段であることは、やはり写真と同様といえます。


掲げられた「ひとコマ」から、長く、広い実際の「生」を共有できたような気がすると、その共有できた者同士の間には独特の連帯感が漂うように思います。その連帯感は、実は一方的なもので、必ずしももう一方の者が感じるそれとは、まるで一致しないのかもしれません。だけれども、顔を見合わせてお互いにニヤニヤしてしまうようなそんな瞬間って、あるような気がするのです。


その瞬間が味わいたくて、僕らは筆を取り、シャッターを切り、成果物を掲げあったりするのかもしれません。「そうせずにはいられない」域に達する者も少なくない。それってとても、人間的だと思います。決して、高等なことでもなんでもない。


あらゆるものに、連続的な時間や空間が「生きて」います。