流れろ、元気

「気の流れ」に関する本をちびちび読んでいます。

健康や病気に関わるようなことも、「気の流れ」という観点でとらえて考えると説明のつくことが多いようで、読んでいて結構楽しいです。科学や医学でも説明のつくようなことを、「気」と呼んでとらえている部分が少なからずあるようにも理解できます。(僕の誤解でなければ、ですが)

最近、母親を亡くされたばかりの男性の話を聞く機会がありました。その人の母親は、元気だったのに突然トイレの中で亡くなってしまったというのです。故人は、80代だったとのこと。元気だったにしても、母親がだんだんと老いていく様子を表現して、男性は「気が抜けるって、こういうことなんだなぁ」と言いました。ちょうど最近「気」の本を読んでいた僕に、とても印象的に響く言葉でした。すぅっと吸った息を自然に吐くような、さっきからすでにそこにあったような、そんなひと言でした。

若い人は、気の流れが強いといいます。それだけ、偏りが生じたりすることもあるようです。逆に老人は気の流れが弱く、そのぶんバランスもとりやすいといいます。そのことについて、老人と赤ちゃんは共通しているようです。

しばしば、生まれたばかりの赤ちゃんの様子と、衰弱して死に向かっていくときの老人の様子が、照らし合わせて語られることがあります。我が家の祖父母が亡くなったときも、家族の間でそうした会話がされたことがありました。「気」の本を読んで知ったことが、そうやってこれまでに実際に見たり聞いたりしたことと重なります。

異なるいくつもの捉え方でひとつのものを見つめると、対象のものがより詳しく細やかに浮き彫りになります。向こうから見たときのシルエットが、こちら側から見るとこう作られている、ということがわかるのです。

つまり「気」ってなんなの?と言われても、僕にはうまく説明できません。ただ、オカルトでもスピリチュアルなものでもなく、現実にある不思議なもののひとつとしかいいようがありません。

「元」なる「気」と書いて、「元気」です。

元気とは「出す」ものではなく、すでにそこにあるものなのでしょう。

生きとし生けるものに、元気は「流れて」いる。