愛のやりとり

何かを残すことについて、2つのことを思います。

ひとつは、子孫を残すこと。

もうひとつは、覚えていてもらえるようにすること。

ひとつめの、子孫を残すというのは不思議で、何代もさかのぼると、もう誰もその人のことを覚えている人が誰もいません。それなのに、その人の存在が確実に子孫に影響しています。影響しているというより、必須です。不思議というより、素敵なことかもしれません。

ふたつめの、覚えていてもらえるようにすること、は、子供を残さなくてもできます。他の誰かの記憶に残ること、ともいえそうです。このへんのことに、生きる意味を見出す人は多いのではないでしょうか。

人だけではなくて、ひょっとしたら犬なんかもそうやって生きている側面があるかもしれません。常日頃、残ろう残ろうと念頭において行動しているわけではないでしょうけれど、楽しく過ごした経験をたくさんつくっておくことが、それにつながるようにも思います。

子孫を残し、なおかつ広く、永く、覚えられ続けるような人もいるでしょう。歴史上の偉人なんかにそんな人がいるかもしれません。

何かが残るというのは、『「愛」のやりとり』についてまわるのでしょう。どんなかたちで、どんなやり方でやりとりをするかは、人それぞれ、犬それぞれ。いのちの宿主の数相応に、おんなじものはひとつもないことと思います。