そのブイは流れているか

人間は、信用なりません。


一度決めたこと、考えたこと、いろいろな選択・決定が、毎日毎日揺らぎます。


今何かを決めること、考えることはたやすいかもしれません。明日何を決めるのか、考えるのかを予知することはできません。だって、明日どうなっているのかというデータが、今日の時点ではないんですもの。


毎日やると決めてかかったことを、8日目にやめてしまったとします。やると決めた時には、7日間続けたときどういう状況になっているか、のデータがまだありません。意思決定を下した瞬間とは、状況が変わっているのです。


決めたこと、考えたことを揺るがすということは、それだけ自分や身の周りが変化している証拠なのかもしれません。そのことを証明する例なんて大仰なものじゃありませんが、子供はすぐ飽きてしまいます。数日前にたいへん気に入ったり、はまったりクセになっていたような行動や言動が、今日にはもう別の様子に移り変わっていたりします。やはり成長が著しくて、短期間(大人にとっての)にも変化が大きい証拠なのかな、なんて思います。


考えや決定を変えたとき。


そこには、それまでの自分になかった変化が、「それを考えたり、決めたりしたとき」から今までの間にあったことを示しています。


「何も考えない・決めない」では、そのことに気付くことができないでしょう。


「やめてしまった」「それまでと違うことをやりだす、言い出す」ことは、ときに揶揄されたり、批判の対象となることもあります。それでいいし、言わせておけばいい。いろんな基準を作って過去の自分と見比べて、今日の自分を作っている人の文句ほど、それをしていない人が言うものです。


長く続かないことを見越して嘘を言うのは、もちろんダメだと思います。


まあ、「道具としての嘘」は使いよう、ともいえそうですが