おかみさん

今日、いったい、自分の頭で考えたことがどれだけあっただろうと、1日を振り返りながら手帳の上にペン先を浮かせて固まってしまう。そんな日をいくつ過ごしてきたか、数え切れません。


とある、社会教育関連の施設で働き始めて、もうすぐまる2年が経ちます。そこで僕は、講座の企画を考えたり、資料を集めて情報を得たり、人や場を取材して、それを記事にしたりしています。そうした、学びの「提案」を考えて実施する一連の行程は、何より僕自身の貴重な学びとなっています。


考えることも多いのですが、雑多にふりかかる事務作業、窓口対応が多いというのもまた、この仕事について僕の実感することです。もちろん、どんな事務作業や窓口対応にだって、新しい気づきや発見の糸口があるものと思います。しかし現実にはなかなか余裕がなく、ただただ席について、コンピューターに筋書きの決まった事物を打ち込んだり、窓口に訪れる人やかかってくる電話の要求を消化するべく、立ったり座ったりしているだけで1日が過ぎてしまうこともあります。


どんな1日を過ごしても、お給料が変わらない勤務条件であることが、ありがたくもある一方、自分を鈍くさせ、ときには怠慢な姿勢を許容してしまうようにも思います。


1日の終わりに、手帳の上で浮いたペン先を見つめて、固まってしまうようなとき。もしも、手帳が、話を聞いてくれる「おかみさん」みたいな人だったらどうでしょう。何も言わないで固まっている男は、どう見えるでしょうか。



今日は、なんにもなかったよ。」


「うそおっしゃい、なんかあったでしょう」



そう、なんにもないことはなかったはずです。向き合う機会を、却下しているだけなのかもしれません。