ゲレンデのチョコレート、スピーカーの遠鳴り

スキーと家族との記憶は、結びつくところがあります。


僕の場合は、僕自身も家族もからだを動かすのが好きな方だったので、おおむね楽しかったレジャーの記憶といった感じです。


自分から積極的に滑っては降りを繰り返していたように思います。休憩する両親を食堂に置いて、5歳上の兄ともう2本、3本と飽きもせずに滑ったりしていました。


小学生を卒業するとめっきり行かなくなったのだったか、それ以降の家族とのスキーの記憶がほとんどありません。


中学校の行事にスキー教室があったので、級友との宿泊遠征にわくわくしていたのを覚えています。日中のスキーよりも夜のレクリエーションが楽しみで、僕は当時の音楽好きの友人たちと歌やらなんかを発表したんだったかな。校長先生の「皿回し」があって、生徒のTくんが前に出て盛り上がったけど、校長が調子づいて長くなり、「皿回しが終わらない」ことがしばらく生徒の間でネタとして語られました。スキーそのものの記憶はそっちの方にマスクされてしまって、あまり出て来ません。


いま僕が31歳になって、息子があと何ヶ月かしたら2歳です。今度は自分が連れて行く方かなと想像します。母親から僕は「3歳で直滑降していた」と聞いています。我が家で幾度となく登場するネタでした。スキーに行かなくなって、あまり聞かなくなったかな。僕の息子も今のところ活動的な子供に思えるので、スキー場に連れて行ったら自分もあんなだったのかな、という姿が見られるかもしれません。


子供は親の姿に未来を、親は子供の姿に過去を見るのでしょう。「ああなるのかな」「あんなだったかな」と、心の準備をしたり、過去をかえりみたり、お互いを参考にし合う。


そこに社会の動きが加わって、父のときはああだったけど今はこうだとかいう違いとともに、変わらない家族の姿が浮き彫りになって見えたりもするのかな。


それ以上も以下もないけれど、家族と過ごした記憶があること自体、ありがたいことだと思います。