外は、雨。いい天気。

「谷川俊太郎展」に、行きました。


「詩人」の展覧会に行くのは初めてだってし、そもそもあまり展覧会に行かないので、なにかと比べて新しいとか斬新だとかはわかりませんが、「詩」を自由にするのも、「詩」にどんなかたちを与えるのかも、とにかく「詩人」次第なのだなと思いました。これまでに「谷川俊太郎」という詩人がこころみたことのエッセンスを抽出して、現在の私たちをさらりともてなすような……気取らず、気張らず、ふらっと詩人の自室にお邪魔させていただくような感覚で味わえる……そんな展示になっていたように思います。



なにかいいものを見たり、出会ったりしたあとは気持ちがよくて、そのあとにおこなうことだったり、帰り道が充実して感じられることがあります。


「いいことを迎え入れる自分」が、スタンバイできるのでしょう。


良い映画や展覧会を見たりだとか、わかりやすく「いいこと」があれば、さっきのが良かったからだなと思えるのですが、自分でも気付かないうちに「いいこと」へのスタンバイができていることがあります。そんなときは「迎え入れる」だけでなく、自分からもいいことが流れ出します。つかえがとれて、自分がやわらかくなったかのようです。


普段どおりに仕事をしたあとのちょっとした休憩時間だったり、早起きした休日の朝だったり(もちろんその日が仕事に行く日だったり)、なにげない経過のなかでそんな調子の自分が現れる。


おおむね、天気が良かったり、体調が良かったりという共通点はあるようにも思えるのですが、なかなか意図的にこういう自分のコンディションをつくりだすのは、難しいことです。なにか大事な本番があるようなときに、自分をメイクアップしてぶつけられたらいいのにな、なんて思います。



(……天気は、操作できないからなぁ……)



なるべく、天気のよいところに自分が行く、というような努力はできるでしょう。


なにを「天気」ととらえるかも、広げて考えてもいいかもしれません。



外は、雨。


ここは、いい天気。



なんて状況に、自分を導くためのはからい。


そんな「はからい」で、自分の行動が沸き起こるような循環。


(それもまた、「天気」みたいなものなのか……)