マイナー志向とブルーオーシャンの齟齬

競争相手のいないところで商売しろ、という考え方があるそうです。
 
僕は広く受け入れられているものでも好きになれないことがよくあります。実はだれにでもよくあることで、実際好きだから受け入れたのではなく、提示されたものをただ受け入れて、あとから好きになった人が多くいるのかもしれません。
 
広く受け入れらているものの中にも、もちろん好きになれるものはあるので、完全なマイナー志向というわけではないのですが、自分にはその傾向があるように思います。
 
これは、多くの人が受け入れたり選ぶものを避けることで、過熱した競争の場に首を突っ込まないようにする、それを無意識下で実践しているのかもしれません。
 
広く普及しているものは供給がじゅうぶんなので、特にあらそうようなことはなさそうにも思えます。ただ、広く普及したものや習慣に頼りきった生活をしていると、なにかのはずみにそれが壊れたり崩れ去ったりしたときに、普及していた広さに応じたケア、支援が必要になります。そして、それが行き届かなかったとき、実際に困る人が出てきてしまいます。それらのケアや支援は、普及が広範囲で深く根ざすものであるほどに、受益者自身の努力でどうにかできる範囲を超越しがちです。大きな災害があったとき、生活基盤に影響が出て、たくさんの人が困るようなことがそれにあたるでしょう。こんなとき、常日頃から自分の身のまわりのことをなるべく自分でやっておくと、困ってしまうダメージが少なくて済むのかもしれないと思います。
 
僕の中途半端なマイナー志向が、そうした危機的状況時に有利にはたらくようなたいそうなものであるとはまったく思えませんが、なんとなく、大勢の流れが一定の方向に抗うことなく進んだりするようなとき、ふと怖いなと感じることがあります。流れを離れて、静かに眺めていたくなります。
 
競争相手がいなさそうなものを好きになったり、だれもいない広い海に漕ぎ出していくようなことには、リスクがともなったり、自分でどうにかする体力や技量が必要だったりもします。
 
自立していたいとか、強くいたいという憧れが、そうしたマイナー志向(めいた)選択をさせるのかもしれません。