声はペンより強し?

ペンは剣より強し、なら、声はペンより強し、かもしれないと思います。 

僕だけでしょうか。 

なにかを読んでいても、近くで音が鳴っていたり、話し声が行き交っていたりすると、ちっともあたまに入りません。 

どんなに文章ですばらしい内容が表現されていたとしても、「音声」の一発で注意をすべて持っていかれてしまいます。 

子どもの泣き声は強烈です。耳にすると、なにも考えられなくなります。 

カフェなんかで本を読んでいても、他のグループの話し声が近かったり大きかったりすると、気になってしかたありません。 

「どんな音か」を文章で表すのは困難です。各周波数帯域の分布がどれくらいで、減衰や増勢の具合、長さはどんなで、強さはどんなで…なんてことをことばや数値で示されても、ほとんどのひとはわからないでしょう。「バイオリンの音」といえば、バイオリンの音を知っているひとどうしならば共通の認識が持てます。知らない場合はどうでしょう。動物の腸やナイロンでできた芯線を金属で巻いてコーティングしたものを、馬のしっぽの毛を束ねたものでこすった振動が木の箱で共鳴した音…と言ったとしたら、その音色が想像できるでしょうか。材質に詳しく、それらがどんな形状のときにどんな特徴を持つかという知識が豊富だったら、少しは想像できるかもしれませんが、いずれにしてもそれらの材に対する理解や経験に頼ることになります。まったく知らない音をことばで説明されても、具体的にイメージを共有するのは難しいことです。 

それが、一発、聴きさえすれば認知できます。一度バイオリンの音を聴けば、それ以降はバイオリンの音といってもらえればわかるのです。 

この逆はどうでしょう。 

ことばを音で表現する。 

ことばは、読み上げることができます。 

ことばを示す文字列に、そもそも音声の情報が含まれているのです。 

識字をしない少数部族のことばなんかは、文字列が存在しないと思うので、音を聴き取って、発音が近い既存の文字列に置き換えたりすることならできるかもしれません。 

「ことば」と言ったとき、識字をして生活している僕たちはなんとなく活字のようなものをイメージしがちですが、ひとになにかを伝える手段が広く「ことば」と言えることにあらためて気づきます。 

からだで語る、というのもことばのひとつですよね。