レイト・マジョリティ未満の生活

僕が自分の端末としてiPhoneを初めて持ったのは、4年10ヶ月5日前のことでした。(初めてその端末で撮って、加工した写真が残っています)

iPhoneが初めて日本で発売されてから9年以上経っているようなので、かなり遅い導入だったといえます。

スマートフォンの普及率がいまほどでなかったころ、iPhoneのさまざまな不具合や故障しやすさについて、よくささやかれていました。あるいは僕自身が保守的なために、そういう新しいモノに対するネガティブな情報ばかりが自分の頭に残るのかもしれません。

自分の主たるな連絡手段を担う端末に、そう簡単に不具合を起こされたり壊れられては困ると思い、ずっと様子をみていたのです。

その「保守ライン」を乗り越えさせたのは、やはりインターネットに「どこでも」接続できることの有益性にあったと思います。

それまでの携帯電話でももちろんインターネットができました。

が、不便でした。画面は小さいし、タッチパネルではなかったので、十字に配置された移動ボタンを何度も押して、カーソルをいちいち見たいところにポイントしなければ、見たいところを開けませんでした。

この状況を変える決心をさせるのを手伝ったのは、SNSの存在でした。正直、携帯電話でSNSの利用が快適にできなくてもまったく問題ないという考えは今でも変わりませんが、そのときの携帯電話が壊れ始めて、どうせ変えるならiPhoneに、という気に初めてなったのです。

かばんにいつも東京都の地図(文庫サイズ)を入れて持ち歩いていましたが、その頃からいらなくなったことを思い出します。タッチパネルを指でスクロールさせて連続的に好きなところを見られる地図は、地球のまあるく地続きの形に合っているように思います。(少なくとも、手のひらサイズの紙の束よりは)

いまはこの手のひらサイズの端末が、ネットの中のあらゆる「場」に快適につないでくれるようになりました。iPhoneに触れるやいなや、瞬時に僕はSNSでもなんでも見ることができます。

雑誌や本などの出版物ひとつひとつも、「場」なのですね。そこにどんな内容を持たせるのか。それをつくることを日々の仕事とするのが、出版社や編集者です。

こうしてSNSやインターネットがあることで、その「場」は、なにも出版を職業とする人たちのみのものではなくなっています。

そういう意味で、だれもが瞬時に「出版社」にも「編集者」にもなれることに、ここのところ僕は注目しています。

iPhoneに遅れて乗り出したように、それすらも今さらかよ、という「レイト・マジョリティ(未満?)」な僕なのでした。