慰めのテクニック

作曲をすることが、自分への慰めや労りになりもする。 

ものをつくる動機としてのそれは、ひとりよがりかもしれない。他人に価値をもたらすことを前提としてつくられるものとはだいぶ違う。ただ、自分の役には立つし、ほかに代替がきかない絶大な効果をもたらすだろう。 

自分への慰めという機能が、他人にも同様に作用する場合がある。作った人が普遍的な感性を持っていたり、他者に共感する力が強いほど、その可能性は高まるように思う。他人のことを自分のことのように感じられたら、その区別はもはやあってないようなものである。素晴らしい能力だし、資質でもある。 

その逆を考えてみると、たいへんに生きぐるしいものだ。普遍的な感性もないし、他者に共感もしにくいという場合。たくさんの人に役に立つものがいくら出回っても、その人にはあまりよい効果を与えてくれない。自分にとって良いものを探すだけでも、ひと苦労なのである。そういう人にとって、自分自身にとって良いものを自分でつくる、というのは有効な手段といえる。たったひとつの確かなニーズが、自己にあるのだ。他のだれの役にも立たないものが、その人の宝ものになる。 

自分と他者を混同しないでいられるのも、大事な資質である。なにか公に大きな影響をもたらす大災害が起きたとしても、必要以上に絶望したりすることはない。状況を客観的にとらえたり、論理的に考えて行動ができる、そういう人の存在は、たくさんの他者になびきやすい人の集団の中では、貴重なものだろう。感情に流されて暴走するような人たちを止められるのは、ほかでもないその人だ。 

自分への慰めは、他人に適用(流用)できなくていい。他人を慰める必要があるとき、共感能力がある人はそれを発揮すればいいし、そうでない人には、それに代わるテクニックのようなものがある。技術は、正しく使える人のことを裏切らない。 

自分にとっても他人にとっても、正しくいられるバランスを探り、修整をつづける人生である。