落ち着くな、僕よ。

焦るべきときにさえ、落ち着いている。


落ち着きすぎて、「少しは焦ったら?」とか、「どうするつもりなのか?」とか心配されることの方が多いかもしれない。


地震が来ても動じない。

妻、怖がる。


妻「地震!」

僕「うん。そうだね」


これで呆れられた経験が何度もある。(ほかになんと言えばいいのか)


誰かの為に、みたいな善意で自分自身が感情的になることはないだろうか。


感情が動くというのは資質でもある。


感情が動きやすく、すぐ行動したり反応できる人のことを、僕は羨ましく思ったり、尊敬することさえある。そういう人は、共感する能力が高いのかもしれない。


本当に共感できていればいいけれど、思い違えていたり、他人に押し付けるのはどうかと思う。


自分はこう思うけど、他の人はこう思うかもしれない、というところを押しはかるまでを含めて、本当の「共感能力」といえそうだ。自分の思い込みで突っ走ったり、共感していない他人を巻き込もうとする人は、単に気が短いだけかもしれない。「落ち着け」とは、そんなときにかけるべき言葉だろう。


僕よ、落ち着くな。


想像しろ。


他人の気持ちを、考えを。


そのうえで、自分になにができるか。


創造しよう。