関心の間口。ふくよかなシチュー。

世の中に自分の関わったことが増えたら楽しいだろうなと思う。それが直接関わったことだったら、なおさら特別で貴重だ。

人は自分が関心があることだけに気がつくようにできているみたいだ。関心のないことは目にも耳にも入らないし、触れようともしない。存在を認めていないように思えることさえある。

どういうものに人は関心を抱くのか。乱暴に挙げるとそれは、

・利益をもたらすもの
・実害をもたらすもの

こういうことになるだろう。

僕は仕事で、市民に学びの機会をつくっている。それがいまの仕事なので、社会で、地球で、この次元で起きていることに幅広く興味を持つようになった。持てるにようになったといってもいい。

いまの仕事につく前は、補佐的な仕事に従事していたせいか、関心を持てる範囲が狭かった。僕は音楽が好きなので、自分が音楽活動をする時間と気力体力を確保するために、そうした補佐的な職業をあえて選んでいたのだ。

きっかけがあって転職し、いまの仕事に就いて初めはつらかった。ずっと補佐的な業務しかしてこなかったので、社会のことをなにも知らなかったに等しいと、いまではかつての自分を振り返ってそう思う。

時間や気力体力は、補佐的業務だったあの頃より、たくさん仕事のために費やしている。好きな音楽を好きなだけやる時間気力体力は、あの頃より限定された。そのぶんその活動が貧しくなったかというと、むしろ豊かになったのではないかと思っている。よりなにかを選んで、なにかを捨てている意識をもって、限られた時間と体を投じて生きている実感が持てている。

暇を持て余すような生活の素晴らしさも否定しない。学生時代の夏休みがいまだに続いているようだと自身のことを形容する、稀有な友人も僕にはいる。そうした友人たちとの交流やつきあいも、また刺激と発見に満ちていてたのしいものだ。

なにかを選び、捨てて、自分の有効な時間と体をきっかりつかい切るような経験。いくら持て余しても費やしきれない暇を過ごす経験。どっちも自分の関わったことになれば、関わったぶんの関心のストライクゾーンが得られる。

ミットを構えたことがあるか。

バットを持って打席に立ったことがあるか。

ロジンバッグに触れた利き手でボールを握り、マウンドに立ったことがあるか。

そいつらを眺めて、どこに位置どり、どんな姿勢で構えるべきかを判断する外野手になったことがあるか。

球場にいって、かれらを見守ったことがあるか。

ブラスバンドでそれを応援したことごあるか。

外気に晒されて冷たくなった金管楽器のマウスピースに、唇でふれた時の感触を知っているか。

そのときの空はどんな模様をしているか。

何色の風か。

どんな匂いか。

内側に注意。

外側を意識。



関わるほどに、関心が持てるようになる。



可憐な少女を経由して、ふくよかなおばさんになった女性の作るシチューの味を知っているか?