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僕は、他人のことを責めない。


ほんとにそうかはわからないけど、そう自覚している。


すぐに他人のことを責めるのは短絡的だと思ってしまう。場合にもよるだろうけど、待ってましたといわんばかりに、他人を責める機会を待ちわびているような人が、少なからずいるように思える。


責める人は、正直だとも思う。感情にまかせてその場その場に素直に反応し、責める機会を得たならばただちに責める。そんな「素直さ」や「短さ」が僕にはないのかもしれない。


感情のホースがあって、感情の出どころ、湧水地みたいなものが僕にもある。ときおり勢いよく湧き上がりもするけれど、ホースが長いから、すぐには放水口まで到達しない。そのあいだに理性がはたらいて、湧き起こりが制される。ホースの中に水が取り残されたまま。放水口を覗き込むけど、暗くて狭くて確認できない。


ときおりホースのどこかを持ち上げると、忘れた頃になって取り残されていた水が吐き出されたりする。今はもう湧いていないから、ホースに残っていたわずかな量がチョロっと漏れ出るような具合だ。


うわっ、古い水。


いつのものだか自分でもわからない。何日も何日も、太陽に温められたり、冷たい地面とともに眠ったり、ホースの中で蒸された萎びた水である。


感情は、水のようなものかもしれない。


高い方から低い方へと流れ落ち、はじけ、広がって。蒸発して見えなくなる。いろんなところから天に昇った水蒸気は雲になり、もんもんと僕らの頭上で渦巻いて、ひしめきあい、いろんな表情をみせている。巨大に、分厚く、灰色、しろ、黒。青空にこすったように、薄く、儚く。


だれかの流した湧き水が、時を経てかたちを変えて、僕らの頭の上に浮かんでは落ちてくる。


その水をのんで、僕らは命をつないでいる。


よいもの、わるいものも取り込んで、吐き出し、水に浮かべて、溶かして、流して。


水は、正直でも素直でもない。


いじわるでも優しくもないし、それをああだこうだ言うのはいつも人間だ。


世界のほとんどは、人間以外のものでできているのに。