恋、わずらひ。

この人こそは!と思えるような、「心の師匠」を見つけられたら、幸せなことだ。

自分が尊敬する誰かになって、替われるわけではない。その人はその人でしかないのだけれど。

なれたらいいなと思えるような人に出会えたら、「その人そのものになり替わりたい!」と思えるくらいの、まっしろなこころを持ちたいと、ちっぽけな自尊心を持った僕は思う。

「僕は僕だし」。このちいさなプライドがはたらいて、現在の僕ができている。そんな風に思う。

心の底からしびれ、なびき、打ちのめされる感性を持ち合わせているということは、それだけで、ものすごい才能だ。

「恋」には、これに似た衝撃があるように思う。そのことばかりを考えて、そわそわしたり汗をかいたり赤面したり、鼓動が速くなったりと、身体に生理的な影響さえあらわれる。

相手をもっと知りたい。相手にもっと知られたい。そのために自分の存在を投げ出して、あたまとからだを使って行動し、努力する。

「恋」するのは才能だ。

「恋」は人を成長させる。

「恋」は人を人にもするし、動物らしくもさせやがる。

「恋」している人は、生きている。

生きるために、「恋」するのかもしれない。

一生のうちに、何度でもできるだろう。