フーフーアチチ

公園や体育館にたくさんのパン屋さんが集まって、販売が行われる催しに行ったことがある。

パン屋さんの「フェス」である。

入場無料だったが、来客が多すぎて、販売会場に入ることすらできない、長く図太い行列が出来ていた。

いくつかある会場の列のなかで、消化が早そうなものをひとつ選んで並んでみた。

僕はひとりだったので、持ち合わせていたマンガに目を通す。

外に出かけたときは、まわりの人や景色など、そこでしか見られないもの、出会えないことに注意を向けるべきだと僕は思うのだけれど、行列の中に立っていると、景色も人も動かない。まわりをじろじろ見るそぶりは目立つし、不快を与えかねない。前後の人の会話にだけ耳をそばだてながら、行列が進むのを待った。後ろの家族は、行列してしまっている理由がわからないと嘆くお父さん、お母さん。お腹が減った生理状態を訴える子ども。お父さんお母さん、またそれをなだめる。会場を出たら、落ち着いて食事ができるところに行くそうだ。

行列が消化され、販売スペースに届いた僕。

パン屋さんが臨時のブースを構えるテント前には、絶望的な厚さと高さに思える人垣ができていた。この人垣を掘削して商品が並ぶ長机を拝む気にはなれず、少しうしろから様子だけ見ながら、さっと流れることにした。とにかくゆっくり買い物ができる状況ではなかったので足早に通り抜けると、出口には係員が立っている。一方通行らしくて、一度抜けてしまうとまたあの行列だ。さすがにどうかと思った。

パン屋さんを1番楽しむ術は、パン屋さんに行くことだ。根も葉もないことを言うようだけど、それが根であり葉でもある。

店主たちが工夫をこらしたり、趣向を表現したり、日々訪れるお客さんたちに洗練される、彼らの本拠地たるお店に行くこと。

出前で運ばれたパンたちは、包装で外気と隔てられ、どれも冷たくなっている。

お店で焼き場から直接並べられるパンを購入し、店の前で、近くで、はたまた急いで帰った自宅で、最初のひとくちを食んだときの味やぬくもりの感覚体験がどんなに素晴らしいことかを想像しながら、僕は行列と人垣に辟易しながらもなんだかんだ買い集めたいくつかのパンを、公園の通路の縁石に腰掛けて頬張った。香りも温度も散っていて、どれも冷たいパンだった。


人やモノに出会い、ぬくもりを感じあったり共有できる催しに僕はいきたいと思う。

音楽の巨大な野外フェスだって、ひとつひとつの街の小さなライブハウスだって、出会いの場であることには変わりない。その日だけの素晴らしい時間を過ごすために、出す側も受ける側もやってくる。

熱いものを、熱いまま。

フーフーアチチといいながら、蒸気を吸い込んで汗かいて、また会いに来ようと思える場に、僕はいきたい。