箸でも棒でも(成果のもと)

天才にも、見た目に平凡な日はあると思うのです。

瞬間的なすごいパフォーマンスは、日々の蓄積に支えられるものなのではないかと。

僕は音楽に取り組んでいます。

曲を作ったり歌ったり、ギターやピアノを演奏したり、ドラムやベースも入った編成のアレンジにして録音したりしています。

僕はなにごとも不器用で下手くそなので、毎日練習するようにしています。

どんな人も初めからうまく出来るわけじゃない、といった旨の教訓を耳にすることがありますが、世の中の人はみな器用だなぁと思います。それくらい、僕は初めての状態が酷いのです。(これは世の人たちが決して「初めて」の状態を他人に晒さないがために、初めからある程度うまくやれているように僕の目に映るのかもしれません)

初めが酷いので、どんなに少しずつでも良いので、なるべく、必ず、「毎日」取り組むようにしています。

そうして「まだうまくできない日」を積み重ねていくと、あるとき、少しはましになったなと思える瞬間がやってきます。

ああ、自分でもこれくらいできるようになるのか、と、やり始めたときには手の届かないところにあったように思える領域が、意外にも目の前に迫っている実感が持てたりするのです。

明日のために耐え忍ぶ、今日。その積み重ねなんじゃないかと。

毎日なにかを続けるなかで、新鮮なものを得たり発したりし続けることは大事だと思います。

ありきたりなものしか得られなかったり、発せられなかったりする日もあると思います。箸にも棒にもかからないなんて表現がありますが、振らないことにはかかりようがありません。その日1度でも振りさえすれば、どういうことをやった結果、なにも引っかからなかったのかということが、たった1通りとはいえども明らかになるのです。(表現は異なりますが、これは歴史上の人物の受け売りです。エジソンさんだったかな…)

箸にも棒にもかからない日の存在を肯定し、慰めて、安心してしまっては明日のための今日にならないとも思います。

たったの少しでも、どんなに小さなことでも、なにかしらの新鮮なアイディア(=成果のもと)を毎日生み出し続けるのが大切なのでしょう。

あ、ここは今日うまくいかなかった。

明日はどうしたらいい?

それを見つけるために、毎日箸でも棒でも、なんでも振るべきだと思うのです。

たとえ振らない人の目に、少しばかばかしく映ったとしても。