ジーンズの経歴

あらかじめダメージ加工が施されたジーンズがある。


新品として売ってる時点で穴が空いているものもある。


それを買って、穿く人もいる。


加工によって与えられたダメージと、実際の度重なる着用と経年による変化は、まるで違うものだろう。


新品穴あきジーパンは穿いても、髪の毛をまばらな白髪に染めたりとか、顔面にシワのメイクを施すような人はいないようである(少なくとも僕は知らない)。新品穴あきジーパンを穿く人がいれば、そういう人がいても良さそうなものだけど。


ジーパンの穴はカッコ良くて、顔面のシワはカッコ良くないだなんて、ちょっとおかしいような気もするが、そんなことを思うこと自体がちょっとおかしいだろうか。


若い人には作れない笑顔が、年を召した人にはある。いろんなことで笑ってきたであろう人がそれでいてなお笑うということには、厚みというか奥行きというか、ホンモノの経年変化があらわれるんじゃないかと思う。これは、工場で新品のジーンズをほつれさせるようなものではない。本当に穿いて穿いて、自分の生活のしかた、行動、身近におくものの取捨選択、思想信条とするものがジーンズの使用感にあらわれるようなものだと思う。


31歳の僕がジーンズだったら、ようやく少しだけ穿く人の体型に馴染んできた、くらいのところかもしれない。まだまだ出荷されたばかりの色味が観察される部分も随所にあるかと思うけど、いっつもアイフォンを入れるポケットには早くも長方形の擦れた色落ちなんかがあらわれたりもしているだろう。自分で自分のおしりはあまり見られないから、気づかないうちに経年変化が起こっている場所もいくらかあるかもしれない。


そんなこと気にも留めずに、毎日当たり前のように穿いて出ていくジーンズは、さながら僕の生き写しのようなもの。