編集会議

僕が最近いろんな人に聞いてみたいこと。


それは、


・なにをとりあげるか?(なにをやるか?)

・どうとりあげるか?(どうやるか?)


ということ。


たとえば、多くの人(といっても、総人口に対しては明らかに少数派)がSNSを使い、なにかを発信するということが容易にできるようになった。


SNSじゃなくても、個人でホームページを持つことだってとても簡単になっている。


ハードルが下がるだけに、情報が海をなし、氾濫して実害をもたらすようなことが起きるようになった。


安直な思いつきだけでも、ネット上の書き込みや人間関係を理由に自殺したり、心を悪くした人の存在が頭に浮かぶ。


溢れる情報の中には一見人畜無害のようなものがたくさんあるけれど、そういったものが増えるほど、多数派にコミットした仕組みが作られやすくなる。


そうすると、数少ない深刻に困っている人や、なにかを本気で求め探している人が目指す情報にたどり着くための道筋を、いとも簡単に覆い隠して見つからなくしてしまう。


情報は「フロー系」と「ストック系」に大別できる。とある編集の場に関わったときに、僕は初めて耳にした言葉だった。


フロー系の情報は鮮度が重要で、近い未来の予告や告知だとか、起きたばかりの事実や事件の知らせ、ニュースのようなものである。


対してストック系の情報は、発信と受信のタイミングに大きな時間の隔たりがあっても価値を失わない。「よみもの」と称されるのをよく耳にする。


フローは流れる。


ストックは溜まる。


その名のように。



発信が簡単だとなると、最初の提示に戻りたい。


なにを、どうとりあげるか。

(なにを、どうやるか。)


これを一人一人が真剣に考えた上で、実践すること。


発信が簡単だと、考えなくても発信できる。


整備が進み、誰にでも開かれ通れるようになった道は、ごみが溢れ、散らかっているような状態だ。


ネット上のごみは放置するとどうなるのだろう。


個人の発信が簡単なのは、SNSやホームページのサービスを提供している事業者がいるからだ。


書籍なら、紙の媒体に情報は宿る。


宿をもたない情報たちのゆく末は。



人から人へと伝達されて、変質していくのだろうか。


デジタルは劣化しない。この特徴が大きい。


口伝、口コミだったら、同じ情報を元にしていても、発現する人によって姿形がまったく違って出てくる。


妖怪や幽霊、伝説といったものは、この変質の積み重ねによって現世に生き残っているのかもしれない。(書物や図画にしたためられたものも中にはあるだろう)


元となる情報を、その人がどう言い表す、体現するのか。その違いに着目すると面白い。


共通の作品を自分はこう思った、という意見を他人と交換すると、つくづく自分にない視点に気づかされて面白い。


というところで、冒頭の提示にまたまた立ち返りたい。


あなたは、なにを、どうとりあげるか?