虹色の歌

姪がいる。

いま小学2年生だ。

言葉を覚えたときからませている。

女の子はコミュニケーション能力の発達がはやいものだ。

「つまらない男!」

これは就学前の彼女が、朝起きようとしない父親(僕の兄)に言い放ったひとことだ。

勝手に彼女の名言集に加えている。

これからも増え続けていくことだろう。


女の子には「青い頃」というのがしっくりこない。

男は生まれたときから死ぬまで馬鹿で、途中で「外からの見え方」を調節する技能を身につけることで大人になる。

この技能を身につける前や、身につけている途中の男はまさしく「青い」。

青年というやつだろう。

「青年」には本来女性も含まれるはずだが、女性が「わたしたち青年は…」なんて自称する場面に出会った経験が僕にはない。

若い女性ならではの未熟さ、経験の少なさを感じさせる場面に出会うことはあっても、なぜか「青い」とは思わない。なんといえばよいのか。うまくあらわす形容が思い浮かばない。「青臭さ」匂わせる男の人には、「馬鹿だねぇ!」といって誉めてやりたくなる。

「青い」イメージに男性性が含まれていることを示しているのか。

トイレの標識にも、男性には青が用いられる。

そう、女性はなんだか「赤い」のだ。

若い盛りの女性ほど、ほとばしる鮮やかな「赤」を感じさせる。

幼い少女はピンクだし、年輪を広げてたくましく生きてきた女性は深いワインレッドだ。


赤は血の色だ。

命を宿し、血を分けて、この世に生まれ落ちるのは「赤ちゃん」だ。

「赤ちゃん」には母親が必要である。

女性である母親の一部といっていい。

母親も含めて「赤い」のだ。


生まれたのが男の子だったら、やがて青くなっていく。

赤だったのに、青に変わるだなんて。

赤は、生命の色。

生命や本能の「赤」からかけ離れるほどに「青く」なる。

合理的でない馬鹿なおこないを「青い」といってやりたくなるのも、うなずけるような気がする。

「青」を過ぎたら男は何色になるのだろう。

俗世間の汚れ、にごりをまといながら生命本来の「赤」へと戻っていくのか。

はたまた色素が抜けて「白」に向かうのか。

無色透明な光に近づくのか。

光には本来あらゆる色の波長が含まれる。

プリズムの、虹の色。

それはとても、美しい。

僕は、虹色の歌になりたい。