秩序の戦士

揃っている駒はほとんど同じでも、結果の表れ方が劇的に変わることもある。

たとえば力を発揮したり発揮しなかったりの波が不安定な人の集団があったとする。

その集団が、せーので動き出す。

力を発揮する人、発揮しない人がフィールドの上に散見され、これといって目立った成果があがらない状態がだいたいなのだけれど、ときたま「力の発揮のタイミング」が揃うことがある。

力の波はいくつもが合わさると、とんでもない高波になる。

一定の期間において、ほんの一瞬でもいいからその「最大値」に達しさえすれば評価される、そんな類の仕事だったらそれでOKだ。

一方で、常に波を一定以上に保ち続けないことには評価されない勝負もある。

たくさんの試合をこなしつづけ、シーズンを終えたときの勝ち負けの数で評価が決まるようなスポーツの場合は、シーズン中のわずかな試合数字を大差でコールド勝ちしたとしても、総合的な勝ちの数が乏しければ順位には結びつかない。

そういうルールに基づくゲームだからだ。

得失点差で総合順位を決めるゲームがあるとすれば、10試合中9試合までを1点差で勝ち続けたとしても、残り1試合を10点差で負ければ、軍配は1勝9敗で10点差を出したチームに上がる。

こうした奇跡めいた偶然がなかなかおきないのが、プロスポーツの世界だともいえそうだ。

一定の水準を超える能力を安定して発揮できるように、日々鍛錬に取り組み続けている人たちの集団である。チームスポーツだったら、より個別の能力発揮のムラ、バラつきはカバーされる。

ならされて平坦になった土の上でも、1試合1試合の中で見れば、それぞれがすごい力を発揮し合った劇的な瞬間は、部分的に存在するかもしれない。

そうした瞬間を知っているからか、やめられない何か、ゆずれないもの、誰のためになるでもなく、続けられることがあったりする。

誰もが駒を持ってもいるし、ひとりひとりが駒でもある。

盤の上か、フィールドか、水中土中空中か、コンクリートビルのオフィスの中か。

無秩序な自然界に、秩序を持ち込んで戦うファイター。

それが人間である。