スケジュール鳥

誰かが、自分の主催するイベントをお客さんに売り込む。

お客さん、ひとこと。「手帳に書いとくわぁ」

手帳に書き込まれた項目のすべてが、持ち主に消化されるとは限らない。

仕事だったら突然の体調不良や病気など、やむにやまれない理由でもない限りはだいたいその通りになるのだろうとは思う。

ちょっと関心があるから、という程度の、義務でもなくなんの拘束力もないような予定も散在する。(その多くが散財のタネだったりする)

僕はとある場所に嘱託職員として勤務している。年間の勤務日数は192日。

すべてを手帳に書いたとしたら、出勤日だけで年間の半分以上がスケジュールで埋まる。

スケジュールには、検討の余地がある。

期日が消化されていないから、スケジュールなのである。

それまでに、自分がほんとうにそれをおこなうべきなのか、そこにおもむくべきなのか、その人に会うべきなのか、考えることができる。

スケジュールは、絶対ではない。

こんな見通しだ、というだけである。

スケジュールでがんじがらめだ、と窮屈に思っている人は、自分の手帳を見直して、ひとつひとつの件と自分の関係について改めて考える時間を持つと良いかもしれない。

何通りかの違った分類のしかたで、予定を分けてみるのもおもしろい。

これは「楽しみなやつ」とか、そうじゃないやつ、とか。

これは「お金になるやつ(仕事)」とか、「お金を遣うやつ」、とか。

自分で決めたものか、他人が決めたものか…

関わる人の顔をならべてみてもおもしろい。

地図に配置して、地理的にとらえたら、自分の行動範囲が見えてくる。

悩むようなことじゃないなぁと、思えたならそれでいい。

見ていてわくわくするようなスケジュールの入れ方。

こころに羽を与えるような過ごし方をしたい。

スケジュールがないことを嘆くことはない。これから何かやればいい。