初めて東京に上京してやってきた人が、渋谷のスクランブル交差点なんかを見て、「今日はなんの祭りだろうか」なんてことを思ったりするらしい。
僕は東京出身だしずっと東京に住んできたので、この気持ちは想像して推しはかろうとも及ばないところがある。
渋谷が毎日なんかしらのお祭りだ、なんてことはない。
しかし、毎日どこかで開催されるなんかしらのお祭りへと向かう道中の人たちなども数多行き交っている場所なんだろうと思う。
そしてなんの祭りに行くわけでもなく、このにぎわいをただ目指して集まってくる人もいるだろう。
どんな祭りも、たくさんの期間を準備のために費やして、人が動いて、物が動いて、お金が動いて、一夜やそこらであっという間に終わってしまう。
「人生は祭りだ」と、言い放つミュージシャンのステージを見たことがある。
「お祭り男」なんて形容を自認したり、しょって立つような人もいる。
祭りの一夜は象徴的だけれど、その前にも後ろにもたくさんのストーリーが続いている。
一夜を切り取って、その範囲だけを祭りと言うこともできるけど、生まれ落ちて呼吸を止めるその瞬間まで、祭りは続くとも言える。
個人の人生だけにも限らない。人間の集合体、社会のうごめきそのものがお祭りだ。
どこからが始まりで、どこまでで終わりだろうか。
普段は目に見えないくらい小さな粒が、ふとしたことで集まって巨大な入道雲をかたちづくる。(目に見える形になって、はじめて注目される)
どうか今日だけは晴れますようにと願う人たちの集まりが雨雲となり、誰かの頭上に覆いかぶさり、下にいる別の人たちに雨を降らせるようなこともあるかもしれない。
その雨も人によっては恵みとなり、晴天を祈る別の人にとっては嘆きのタネにもなるだろう。
一年中、どこかしらを雲が行く。
今日は、なんの祭りだろうか。