Spilt Milk

明日にでもやれそうなことがある。


明日すぐにはかなわなそうなこともある。


今日やれそうなこととは結局、明日のためのお膳立てみたいなことくらいでしかない。


お膳立てのお膳立てを繰り返し、「ホラ、もう君はこの椅子に座るだけだよ。」というくらいにして昨日までがんばってきたことが、今日やっと叶うのだ。


明日にはまだやれそうにないな、と思うことは、少しずつ少しずつ手繰り寄せ、にじり寄りながら、どうにかこうにか明日といえる距離まで漕ぎ着けなければ、遠くの蜃気楼のように地平線に揺れている。


おもしろいな、と思えるものごとには、珍しさや新しさと同時に、ほどよい塩梅で親近感や共感が含まれている。


珍しすぎても口に合わないし、ありふれすぎても味がしない。


いまの自分にとって、おもしろいと思える塩梅のゾーンが存在するようである。


今おもしろいと思えることには、その場で取り組み出せるし、手を出してみよう、始めてみようと自然に心と身体がおもむく。


逆にそうでないことには、今の自分がそれをフォローしきれるゾーンを持ち合わせていないということだ。


この塩梅のゾーンは、無段階に変化し、広がる。


床にこぼしたミルクみたいに、地を這ってヌラリと進み、ときにはビシャリと撥ね飛んで、ツトトトトと段差を落ちていきもする。


指で広げて、角を生やしてみる。


デフォルメされた白いウニか、幼児の書いた太陽みたいなナンダカわからない代物が広がっていく。


それが今の自分のおもしろゾーンなのだ。