吹き溜まりの風通し

毎日こうやって何の役に立つともわからない文章を書いている。


いくら書いて溜まっても、家の中がダンボール箱でいっぱいになったりしないのが電子のありがたいところでもある。


何の役に立つかもわからないものをつくり出し、それがまた他人の頭の中のお荷物になるとしたらどうだろう。


頭の中の在庫は、悪だろうか。


僕たちの快適な生活の邪魔をするだろうか。



毎日書いていると、見えてくることがある。


自分の思考のクセとか。


堂々巡ってわからないままになっていることはなんなのかとか。


まあそんな程度のことなんだけど、


そんな程度のことならわかる。


つまり書くこと、なにかをつくることは、


頭の在庫の消費なのかもしれない。


つくったものは、モノとして物質的に、もしくは情報としてどこかに溜まる。


素材として持ち腐っておくよりは、代謝する可能性が見込める形に変える行為。


それが、何かをつくることなのかもしれない。


おいおい、そんな品のない形で提示されるくらいなら、素材そのまんまでくれた方が良かったぜ。


なんて嘆きたくなることもしばしばであるが。


(僕は華美なものより素朴なものに惹かれやすい。なぜだろう。)


エネルギーは無限ではない。


何かのためにとってしまえば、その下流に行き届かなくなってしまうのは自然の道理である。


滞りのない代謝、循環するさまは時に美しい。


自分の身の回りからでも、吹き溜まりの風通しを良くしようと思う。